肌荒れを治して美肌になりたい。努力を続けることは楽しい?それとも苦しい?

みなさまは、
毎日、楽しみながらスキンケアしていますか?

私の場合は現在、絶賛肌断食中のため、せっせとスキンケアをすることはなく、「放置しながら忍耐」という毎日を送っています。
なので、スキンケアしてうるうるキラキラ!って感じが微塵もありません。(仕方ないんですけどね)

今回は、美肌を目指して努力を続けていくにあたり、そこに伴う感情について考えてみます。

努力の種類と感じ方の違い

個々の条件次第で、大きく2つのパターンに分かれると思います。

  • 美肌維持のための努力は楽しい
  • 汚肌から抜け出すための努力は苦痛


美肌維持のための努力は楽しい

「たまに肌の調子が揺らぐから、肌荒れしないような綺麗な肌になりたい」

「今の状態でもまあまあ綺麗だけど、もっと綺麗になりたい」

「今の状態に大変満足しているので、この状態をキープしていきたい」

どれも自分の未来の状態に期待を持っている状況です。
この場合は、余計な心配事もなく、スキンケア自体を心から楽しめるパターンですよね。
世の中に数多くある基礎化粧品の中から、自分の肌に合うものを選ぶ作業も楽しいし、自ら調べて様々な美容情報を集めることも楽しい。
なぜなら、確実に「綺麗になれる」と信じているから。

この条件では、「あえて努力をしている」というよりは、既に「当たり前」のような感覚でいる感じでしょうか。

汚肌から抜け出すための努力は苦痛

「『肌に良い』と言われていることはやっている。でも何をやっても肌が綺麗にならない」

「肌荒れ人生が長過ぎる…。せめて普通肌になれたら」

未来の状態に期待するどころか、未来にも過去にも絶望している。
この場合は、心配事や不安な感情の方が大きいので、スキンケア自体を楽しむことは難しい。

自ら調べまくって様々な美容情報を集めては試して、結果が出なくて落胆する、の繰り返し。
もう何を信じていいかわからない。
あまりに努力が報われないので、時には「投げ出したい」気持ちにもなります。

目標のために何かを我慢すること

目線の先に輝かしいゴールがある感覚か。
先の見えない迷路に迷い込んだ感覚か。

どちらにしても、目標達成のためには「我慢」が加わる場合があります。
たとえば、味は好みではないけど「美容に良い」とされる食品を食べ続けるとか。

「仕方ない」と納得した我慢であっても、小さな我慢が増えていくと、いずれストレスとなります。

努力に伴うストレスの存在

いくら目標のためとはいえ、「ストレス」を感じ始めたら意味がないよね?
でも何をストレスとして捉えるかは人によって違うものだし…。

そんなことをもやもや考えていて、たまたま本を読んで「ああそうか、それだ」という文章を見つけました。

本当にお肌の荒れに悩んでいる人は、肌荒れが解消するためならどんな努力もストレスとは感じません。
お肌の悩みがいちばんのストレスなので、そこから脱却するための努力は喜びと感じられることはあっても、ストレスとは感じないからです。

菅原由香子氏著「肌のきれいな人がやっていること、いないこと」より

普通に考えたらストレスと呼べることでも、そのストレスがストレスじゃなくなる場合もあるということ。

目標があって、そこに向かって努力している様子を、他人は大変だろうなと思うかもしれませんが、本人は楽しくてやっているのでストレスを感じないということはよくあります。
同じことをしていても、本当はやりたくない、人にやらされていると思えば、ストレスだらけになってしまいます。

菅原由香子氏著「肌のきれいな人がやっていること、いないこと」より



ただひたすら目標に向かって進んでいける域(精神状態)に入れば、どんなに面倒なことでも面倒には思わず、なりふり構わずな状態になれます。

たとえ何度躓いても、努力する過程を楽しんで続けていけることが理想ですね。
これが難しいけど。


自分の場合

現在までに肌断食を3年(うち、水洗顔2年5ヶ月)続けてきて、どうだったか?振り返ると。

「何もしないケア」を楽しんで続けているときもあれば、ただただ苦しかったときもあるし、かなり波があります。
でも、どんなに凹んでストレスを感じていようとも、お肌を優先してここまで続けてこれたのだから、「まあまあ楽しんでやっている」証拠なのではないかと思う。

実際、失敗することの方が多いし。


おわりに

汚肌脱却途中のモチベーション維持は永遠の課題です。