今になってちょっと後悔しています。
実際の肌経過写真、もっと真面目に撮って残しておけばよかった、って。
いや、本当、今更なんですけど。
なぜそんなことを思ったのか理由を書きます。
想定外だったこと
私は現時点で肌断食を3年、うち水洗顔を2年5ヶ月続けてきましたが、改めて考えると
時間かかりすぎなんですよね。
そう、こんなに時間がかかるものとは思わないから、「この先何があっても写真必須!」と最初に決めなかった。
(おかげで途中、写真を残すことを放棄した)
考えが甘かったのですが、経過写真は経時的な変化や改善を過去と比較するには必須でした。
写真がないので、記憶に頼るしかない
記憶だけが頼りですが、いかんせん、時間がかかりすぎのため、当然ながら記憶が薄れます。
いや、具体的に言うとこうです。
- 炎症が酷かったときの状態は割と鮮明に記憶に残るが、ほんの一瞬でも炎症が落ち着いてたときの状態は気が抜けたかのように記憶が薄れる
- 鏡を毎日欠かさず見ていたけど、細かな部分については直近の様子しか記憶に残らない
記憶の中でも波はあるし、どうやったって時間が経てば忘れます。
段階的な変化を迎える頃が盲点
肌荒れ脱却過程も段階的です。
仮に最初の時点で、1番に治したいものが炎症で、それ以外の肌トラブルが二の次と考えていたとする。
やがて1番に治したい炎症が落ち着いてくると、二の次に治したいと考えていた肌トラブルにも注目するようになる。
と同時に、この段階で、二の次の肌トラブルが最初よりは改善していたことに改めて気付いたりするのです。
後になってから、「二の次肌トラブルのことも最初からよく観察しておけば良かった〜」という事態になるわけですよ。
(大した損失ではありませんが…)
「文字だけ」という欠点
段階的な改善を通過したことで、細かな部分がより大事だと気付く。
私の場合ですが、
これまでは、写真の代わりに文字でしっかり記録してきたわけですが、そうすると大抵は1番に治したい「炎症のこと」だけに注目しているので、それ以外の僅かな変化には目を向けずスルーしてしまうことが多々ある。
もちろん、僅かな変化に気付いたら都度、記録するように心がけているのですが、「どれくらい」という尺度が必要となるときに厳密に比較ができないのですよ…。
文字表現だけだとね。
今、比較したいこと
毛穴、
色むら、
この2つです。
欲を言えば、「ビニール肌」も比較したいけど、これは光の角度によって見え方も変わるので、写真を残していたとしても比較は難しいと思います。
比較できない「毛穴」
そもそも、毛穴に関しては記録すら残していない。
でもせっかく肌断食をするのだから、毛穴のことも真面目に観察しておけばよかったと反省しています。
現状、経過報告上では、毛穴目立ちに「大きな変化なし」とまとめましたが、
「いやいや、でも、3年前よりはちょっとくらい変化があるのではないか?」と最近思うからです。
(単に期待が大きいだけです)
比較できない「色むら」
色むらの変化は水洗顔2年を迎える頃から気になり出した項目です。
最初は顔中炎症だらけで真っ赤になって皮剥けしていたり、肌表面が角質でゴワゴワになっていて、正直、色むらなど気にする余裕もありませんでしたが、
炎症が落ち着いてくると、本来の肌の色がちゃんと見えるようになるので(当たり前ですが)、肌の色むらを気にかけるようになります。
しかも日を追って、色むらが薄くなっていくような気がしている。
いや、やっぱり気のせいではない。
というところで、「過去の写真と比較したい!」となる。
色むらに関しては水洗顔丸2年越えしてから写真を撮っておけばよかったなーと思ってます。
炎症の影響で常に薄赤かった顔色もだいぶ白くなったので、実際に写真で見比べてみて、
「こんなに変わったのか」
とひとりで喜んでみたかったです。(笑)
モチベーション維持のためにも
私の場合、最初の半年間はひたすら状態が悪い日が続いて、写真を撮る気力すら失せたのですが、
その、「初期の状態」だけでも写真に残しておくと、後になって見返して
「ここまで肌が良くなっているのだから、がんばろう!」
と気持ちを持ち上げることに役立ちます。
目に見える、過去との比較がモチベーション維持に繋がるのですよ。
2年5ヶ月の間、私もあまりに肌が酷くて凹んだときに、初期の頃の写真を見返して自分を慰めていました。
「最悪な状態はそう長く続かない」と言い聞かせながら。
おわりに
比較のためには必要だとわかっていても、今から経過写真を残そうか迷ってしまうのは、写真撮るのが面倒だからなのよね…。
ということにも気付いた。