「無洗顔」実験直後、若干肌が不安定になったことで経時的な変化が気になり始め、頻繁に鏡で状態を確認したくなったりと、
肌のかぶれが治まるまでちょっと落ち着かない気持ちになりました。
実験結果から得られたことがちゃんとあるので、この実験自体に後悔はないのですけど。
改めて思ったことがあります。
やっぱり、肌の調子はその日の気分に大きく影響するんだな、って。
肌断食や水洗顔を始めた頃は
私の場合、開始時はあまりに肌の状態が酷すぎて見た目はもちろん、感覚までも「常に顔の違和感がある」のが当たり前で、「肌の調子の良し悪し」以前の問題でした。
むしろ「昨日より悪くなっていないかどうか」を毎日気にするという、レベルの低さ。
鏡を覗き見て「うふふ」だなんて、程遠い。
まず鏡を直視するのが恐ろしかった。
だって顔面がホラーだったもの。
肌が調子を崩した際の弊害
肌が悪くなると何かと「無駄が増える」気がします。
「気になる」からといって鏡を見ても、結局は肌次第なので、状態が良くなるか悪くなるか先が読めないから、気にしている時間が無駄になるだけだったり。
他にも、「万が一悪化したときにどうやって対処しよう」と先のことで悩み始めたり。
それらも過剰に気にしなければいいだけの話ですが、完全に「無」の状態になるには特殊な修行が必要かと…。
肌のことを気にしないでいられることは幸せだ
肌荒れがなければ「無駄」がなくなり、肌のことで気が逸れることもない。
その分、他のことに集中できる。
何より、自分の肌に対して安心感があることが精神面でも大きい。
とても単純だけど、これを維持することこそ難しい。
当たり前でいてくれたことには感謝したい
自分は今や「綺麗」の影もない汚肌ではあるけど、これでも大昔は美肌だったんですよね。
肌の悩みもなく美肌でいることが当たり前だと思っていたことは、実は当たり前ではなかった。
だからこそ、遠い過去のごく僅かな期間だけでも肌が健康でいられたことは大変ありがたかったと今では思う。
当時はまさか「将来こんな大変なことになる」なんて想像もつかないだろうからね!
人生って何が起こるかわからないよ。
今後の理想
これまでの経験から懲りた上で、今後は過剰に肌のケアに振り回されないことが理想です。
昔の自分であれば、肌のケアにお金も時間も割いてきました。(全部無駄だったけど…)
逆に今に関して言うと、お金はかからなくなったものの、膨大な時間をかけて肌ケアを続けています。
肌断食と水洗顔を続けること。基本は放置で手間なしですが、肌のターンオーバーが整い、肌の機能が回復するまでに長期間を要するという意味で。
昔も今も、肌ケアに振り回されている状態です。
この状態から抜け出すことができたら、もっと「自由度」が広がるだろうなと思います。
まぁ、この不自由さを残したのは紛れもなく、過去の自分自身なんですけど…。
耳が痛いです。
おわりに
何事も失敗から学ぶほうが身につくとは思うけど、肌に関しては極力、失敗を避けたほうが良いよなぁと身に沁みて思う。
不可逆的だからこそ、失敗の反省もより大きくなるんですけどね…。