今から1年前というと、水洗顔歴は1年10ヶ月のところ。
今現在と比べたら、お肌の状態もまったく安定しておらず、定期的に炎症悪化を繰り返していました。
そうして良い結果がなかなか出ないまま、水洗顔を続けて気が付けばまた1年。
今は水洗顔歴2年10ヶ月以上となりました。
1年前当時と比較して、お肌の状態がだいぶ違います。
ようやく状態が落ち着いてきたところで、生活するにも平穏が訪れた感じ。
(そのくらい「毎日が闘い」でしたよ。冗談抜きに)
今回ふと、1年前はどうだったっけ?と思って記事を読み返してみたところ、「相変わらずおかしなこと書いてるな〜」って思ったのですが、
1年前というと、「ちょうどふっ切れた」時期だったんですよね。
それがなんだか、感慨深いなぁと思い、軽く当時を振り返ってみることにしました。
「水洗顔歴1年10ヶ月」というと
今回読み返したのは、今から約1年前の考察記事です。
「心境の変化」のターニングポイントだったようですが、ざっくり言うと、「水洗顔生活にすっかり慣れてしまった」という話。
完璧、生活習慣の一部分。
1年10ヶ月でそんなに慣れたのだから、その1年後の現在なんて本当、「当たり前な」水洗顔生活です。
それこそ最初は「肌荒れ改善のための努力」として始めたことが、今や日常生活の断片となっているのですから、面白いですよね。
別の言い方をすると「苦労」だと感じなくなったという意味ですね。
あらやだ、
すっかり感覚が麻痺しとる。(笑)
それでも、凹んだり落ち込むことはありますよ
1年前の記事にも書いてあった通り、「図太くなった(精神面で)」とはいえ、今でも凹むことはあります。
顔の炎症がほぼ出なくなったとはいえ、いかんせんベースが汚肌であることは変わりないのでね。
鏡を見るとやっぱり溜め息つきたくなりますね。
というわけで、今現在における「弱気になったときの気の逸らせ方」を考えてみました。
「弱気になったときの気の逸らせ方」
- 以前と比べて「良くなった部分」「改善点」に注目して、その部分をとにかく褒める
- 1年後の姿を想像してみる(大概、何かしら変化がある)
- 鏡を封じ、心を鎮めて瞑想する(お肌のことを一瞬でも忘れるため)
- 今出ている症状はすべて「治すため」の過程で出ているものなので「肌が治そうと頑張ってくれている」ことに感謝する
単なる「肌荒れひとつ」とっても、その部分、一部に焦点を当てて見るのではなくて、全体から眺めて見ることが大事なんですよね。
肌荒れが酷いときはどうしても視野が狭くなって精神的に焦ってしまうものですが、
そういうときこそ自分の身体の治癒力を信じてあげなければいけないんだなと思います。
私はそういうことに気付くのも遅かったのですけど。
自分だけの新鮮な発見
こうやって当時の心境を振り返ると、普段はあまり意識しない「自分の変化」に気付けるからおもしろい。
ちょっと新鮮な発見があったりするので、記事に残しておいて良かったなと思います。
大概は自虐ネタですが(笑)
追記:水洗顔歴丸4年の心境変化は、
水洗顔歴2年10ヶ月から1年2ヶ月後。
水洗顔歴丸4年となった今の心境変化です。