水洗顔を長い年月続けていると、肌の変化だけでなく、「気持ちの面での変化」が出てくるもので。
気持ちの面で1番の変化は、自分の肌に対しての「おおらかさ」だと思うのですけど、これはある意味「ずぼらーと紙一重」的だと思っています。
(もちろん、これは自分の場合に限りです)
「おおらかさ」=「心の余裕」=「ずぼらー」。
今回は、心の余裕を表す「行動の変化」についてメモしておきます。
ある日ふと、気付いたのが
顔を洗うのは、1日に1回。
お風呂に入ったときのみ。
石けんや洗顔料は絶対に使わず、水(お湯)だけで顔を洗う。
そう決めてから、2年以上が経ちました。
(水洗顔を開始して最初の1年間は、朝や昼間にも水洗顔していました)
そして現在、水洗顔歴は3年3ヶ月。
何事も長く続けていれば、ごく自然と慣れるもので、今やこのスタンスが習慣付いています。
で、話は若干逸れますが。
私はお風呂上がりに空手の自主練習をしていて、ある日、その空手の練習を終えて、ふと、頭に浮かんだのが、
「あれ?そういえば前は、風呂上がりに真っ先に鏡を手に握っていたような気が…」
今では鏡には目もくれません。
それがなんでかな?とよくよく考えてみて、答えが出ました。
「明日の顔」に興味がない
以前なら、「顔を洗ったあと(風呂後)の肌の状態」を真っ先に鏡で確認していました。
というのも、
顔を洗ったあとの状態を見て、「肌が白っぽく見える」ときは「肌の調子が良い」。
対して、「肌が赤っぽく見える」ときは「炎症が出てくる予兆」と判断していました。
しかし今現在は、顔に炎症が出たとしてもよほど酷い炎症にはならなくなったので、心境としては明日の顔がどうなろうと興味がなくなったようです。
(…というのはひどい言い草ですが笑)
他の理由としては「空手の練習が優先」ですが、根底に「明日の顔がどうなろうとどうでもいい」気持ちがなければ、空手を優先するなんてできないとも思いますし。
汚肌の根本改善を続けてきて、よもや、未来の肌経過への興味が薄れるとは…。
ミラクルです。
今は空手練習のあとに鏡を見ます
お風呂上がりに真っ先に鏡を見ることがなくなったとはいえ、空手練習を終えたら鏡を覗きます。
というのも、顔に「ばんのう酵母くん」を塗布するために。
その時点で大体、肌の状態を判定できるので、慌てずとも良い。
稀に酵母くんを塗り忘れることもありますし…。
心の余裕→鏡への執着が薄れていく
過去の肌実況記事にも書きましたが、1日を通して鏡を覗く回数が減っています。
以前は、昼間〜夕方にかけて数時間ごとに鏡を覗いていたものですが、鏡を見ずに放置することも増えました。
「炎症が出てきたらどうしよう」「炎症が酷くなってきたらどうしよう」という湧いて出る不安に振り回されることがなくなり、いつも穏やかな気持ちで過ごせるのは本当に幸せです。
肌は完全に回復してはいないけれど、心の余裕が持てるようになっただけでも「続けてきて良かった」と思えます。
ここまで辿り着くまでには本当に色々あったけどね。
良かった良かった。
参考:現在のスキンケア方法など
「肌荒れ改善」のヒントにお役立てください。
参考:肌荒れ改善補助アイテムを使う理由
基本「なにもつけない」肌ケアを継続しておりますが、例外として「ばんのう酵母くん」を使用しています。
その辺りの自分の考えについて。