肌に悩みはあるけれど、肌で悩むことはない。皮膚代謝のペースで適当にやってくれたまえ

前回記事の内容を引っ張りますが、
3ヶ月もの間、顔に炎症が出てこなかったのは素直に喜ばしい。
3年9ヶ月以上の年月をかけてビニール肌改善に努めてきた、その成果が出たと捉えて良いのだと思う。
肌断食だけで言えば4年4ヶ月。
過ぎた年数を振り返ると、結構長いと思います。

そして、年数を経て、自分の目指す目標が徐々に変化してきたことも実感しております。

最初は「顔に出てくる炎症をどうにかしたい」
 ↓
次第に「炎症が出ない肌になりたい」
 ↓
「ビニール肌を完全改善したい」
「肌に残っているクレーター跡を消したい」
「肌の色むらを完全に消したい」
「乾燥しない肌になりたい」
 ↓
「美肌…いや、せめて普通肌にはなりたいけれど……」
「いっさいの肌ケアをせずに生活できるならそれでいいかな」


……あれ?
貴様の野望はどうなった??(笑)

放っておくのだから、なるようにしかならない

最初(3年9ヶ月以上前)は顔面の炎症が相当酷かったので、とにかくこの炎症を鎮めなければ!と焦りまくっていた。
ある意味で視野が狭く盲目的になっていた時期です。
だから、物事を俯瞰して見るよりも、表面的な変化にばかり注目してしまい、その分余計に空回ることも多かったと思います。
(3年以上も前のことなので記憶が遠いですが…)

でも、年数かけて次第に肌が落ち着き始めて、今現在は焦りもなくなりましたし、まるで何かに追われているかのような「急ぐ気持ち」がなくなってきました。
これは「現状、肌が安定している」ことによる「安心」の気持ちではなくて、どちらかというと「諦め」の気持ちに近い気がします。

だってさ、
このまま様子を見ているだけなんだし、なるようにしかならないじゃーん。(´Д`;)

ビニール肌改善を皮膚の自然治癒力だけでどうにかしようとしている以上、「すぐに良くなるなんてことはない」ということを学びましたし、自分の皮膚代謝のペースも大体わかりましたから。

頑丈で健康な肌になっていなくとも「心配」は不要

肌改善に急ぐ気持ちがなくなって諦めた、
といっても、肌の回復そのものを諦めたわけではなく。
別に急がなくてもいいから、地道にターンオーバーを繰り返して、いずれ改善してくれればいい、そんな気持ちです。
皮膚代謝のペースで適当にやっといてくれ。
それこそ、切迫感から思い切って水洗顔(脱石けん)に踏み切った、最初の頃とはえらい違いです。
なんておおらかな。(笑)

人間、慣れてくると「飽き」がくるものです。
さすがに、3年以上も同じようなことを考え続けていると、別のことを考えたくもなるらしい。

肌がどうなろうともう知らん。
「これ以上」を要求したくても、すんなり要求が通ることはないのだから、今こうして心穏やかに過ごせるのならそれでいいじゃないか。
肌ケアに時間を割かないで済む生活だなんて、それだけで願ったり叶ったりだ。

「肌の心配をしなくていいくらい頑丈で健康な肌になりたい」とか考えていた初期の頃の願いが、半分だけ叶いましたね。(^_^;)

肌の心配がない ≠ 頑丈で健康な肌

ここ、イコールじゃなかったんだな、って初めて知りました。
完全に健康な肌にはなっていなくとも、肌の心配くらいなら、しなくてよくなります。

肌で悩むことはない

肌の心配をしない。
つまり私は今現在、「肌のことで悩んでいるわけじゃない」ようです。
今も鏡を覗けば汚肌が映りますし、正直、汚肌であることは悩ましいのだけど、「この汚肌をどうにかしたい」とか「この汚肌をいかにしてやっつけるべきか」とは考えないらしい。

肌に悩みはあるけれど、肌で悩むことはない。
なんだこれ、ややこしいぞ。(笑)

そんなことよりも、もっと別の生産的なことを考えていることが増えました。
今の自分にとっては、肌のことよりも楽しいことであり、重要度が高いです。
本当なら、「肌のことで悩む時間がもったいないから、もう悩まないぞ!」と息巻いて言い切りたかったのですけど、そうではなくて、自然淘汰されてしまいましたね。
また一段と図太くなった。(笑)

汚肌に悩むことがなくなり、興味が他へと移っていく。
もちろん、肌のことを知り尽くしたわけではないけれど。
そろそろ、肌との闘いは終わりそうかな?
そんな気がしています。

今回のまとめ

4年近く、同じ悩みを抱え続けていると、そのうち飽きて考えなくなる場合もある。
「飽きる」って意外と大事だな!


追記:一旦、治りましたという判定を

後日、「皮膚炎治りました判定」をいたしました。

ご報告「一旦、皮膚炎は治りました」2019年9月末日、ようやく目標達成です!

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