何度、鏡で見てもやっぱり、揺るがない。
自分で言うのもなんですが、
自分の肌は相当ダメージが酷い部類の汚肌だと認識しています。
お世辞にも「すっぴんキレイね♡」だなんて言えたものではありません。
が、しかし。
見る人によっては「だいぶマシ」な部類に見えることもある汚肌状態であることが、つい最近わかりました。
今回はそんな「気付き」のお話です。
「自分の肌は最強の汚肌」なのであって
肌断食を3年7ヶ月。
そして水洗顔を約3年間続けてきた我が汚肌。
3年前当初はあんなに酷かった顔の炎症(主に脂漏性皮膚炎)が今ではほぼ鎮まり、ようやく「人目に晒してもまずまずおっけー(まだ汚い肌だけど)」な肌状態になりました。
長かったよねえ……。
炎症が酷かった過去があったからこそ、3年前の状態よりはずいぶん良い状態であると思えるわけですが、汚肌を完全に脱出したわけでもなく。
街行く美肌のお嬢さん方とは比べ物にならないくらい「ポテンシャルが低い肌」だという現実もまた、痛いくらい理解しています。
見かけ上は肌荒れが治まっている状態であれ…。
「肌荒れがない肌はすべて綺麗」と言えるか?、というと、そういう話ではない。
少なくとも私の素肌は、過去の肌荒れダメージの痕跡を多く残した汚肌でしかないのです。
人から「肌がキレイ」だと言われて耳を疑う、汚肌の持ち主(自分)
そう、私はどこからどう見ても「ダメージ汚肌」ですから。
素肌を褒められるなんてこと、あるわけがありません。
(かつ、それを真に受けるほど素直な心の持ち主でもない)
なのに、その日はやってきた。
ごく最近、知り合いの女の子に言われたのです。
「肌がキレイで羨ましい」、と。
はい?????(゚Д゚)??
その言葉に当然、私はびっくりしましたし
「これ(私の肌)のどこが?」という感想しか持てなかったので、
ここは謙遜の意味ではなくただ正直に「いえ、汚肌です」と即答してしまった。
そのときは特に、眉くらいしか描いていないすっぴんだったもので、素肌晒しすぎで冗談抜きに汚い汚い。
それに私は極度のビニール肌。
だから「褒められて嬉しい(お世辞だろうけど)」というより「化粧で隠しもせず素肌晒して本当すいません!」という心境です。
でも、後になって、
その子の言いたかった意味がなんとなくわかりました。
隣の芝生は青く見える
私の汚肌を褒めてくれたその女の子は、「肌荒れの悩みを持っている」ようでした。
だからこそ、「一見すると肌荒れが無いように見える」私の肌が、「トラブルがない肌」という風に彼女の目に映ったのかもしれません。
(真実は「トラブル有り有りの不安定肌」なのですけど)
……ああ、なるほどね。
これは「隣の芝生は青く見える」ってやつだなと、このときようやく理解しました。
他人の持ちものは、自分が持っているものよりも、なぜか「良く」見えたりするものです。
肌荒れなんて、他人から見たら「ちっぽけな悩み」かもね
たとえばの話、
他人の目から見たら大ごとでもなんでもない可愛い欠点を、本人が「コンプレックスだ」と深刻そうに悩んでいるとしたら、周りの人は
「えー?そんなこと気にしているの??」と不思議に思うはず。
はたまた、
「肌荒れがない肌になりたい」と切に思う私のように、「肌荒れのない」肌や「自分に比べたら大して肌が荒れていない」肌を目の前にして「羨ましい」気持ちが湧くこともある。
それは人それぞれ、思い描く理想があって、その「理想とする状態」がひとりひとり異なるという証拠でもある。
更に、そのときの個々の心境にも意見は左右される。
そうやって考えると、「自分の肌荒れに延々悩む」というのは、どこまで不毛なのか?とも思いますね。
…と、若干、「肌のことを過剰に気にして生きる」ことがバカらしく思えた私です。
自分でもバカらしい話だとは思うけど、それでも「気にしないではいられない」のだから、本当どうしようもないな、って思います(笑)
未だにこんなこと言っていて、
明日になったら、水洗顔継続丸3年ですよ!
困ったわ〜〜〜(笑)
余談:「なぜそこまでの執着心が?」
私が「汚肌脱却」にこだわる理由はこちらをご参考に。